『刀』を通してみえるもの
ちょっと今回のテーマはいつも以上に気合いを入れて書かないといけないかな。
というのも、剣士をこれでもなのっているものですから、この内容には真剣に立合ってかいていかないといけないと感じています。
ところで、日本刀についてどのようなイメージがあるでしょうか?
日本古来からある伝統的な武具の一つというのもありだと思いますし、なんだか知らないけど格式が貴いものというのもあるかもしれません。
他は、日本独特の文化でしょうかね。
実際に武器に装飾してきらびやかに見せているものはあるでしょう。
しかし武器にこれほど色々な想いをつぎ込んでいるものは世界を見渡しても稀です。
その日本刀は武器としての側面もありますが、美術品としての側面ももちろんあります。
今、日本に刀があるのはこの美術品や文化として側面に起因しているとも聞いています。
この話は長くなるので別の機会に出来たらします。
ただ日本刀は「斬る」事も目的ではあるのですが「鑑賞」する目的で家に持っている方もいらっしゃると思います。
もしかすると家を護る為に持っている人もいるのかもしれませんね。
こういったもので、身近に感じれる場といえば、神社の宝物殿や各地方の博物館や美術館、都内であれば上野の国立美術館が有名ですね。
そこで、国宝級の刀が展示されている時があります。
僕は「童子切」安綱が大好きであの刀身を観ているだけで1時間はその場で色んな角度から鑑賞しています。
実際に刀は国宝クラスや重文クラスをみたほうが、色々と感じるものが多く楽しいのでおすすめです。
ところで、この刀の製法について実は既に技術が伝承が失われているという事実はご存知でしょうか?
「何を言っているんだこいつは?」と思われてしまうかもしれませんが、現在の標準的な刀の製法は江戸時代中期から後期あたりの刀匠が文献に残した製法を今行っていたりします。
そのため、古刀と呼ばれる室町時代以前の刀は現在「失われた技術」となっています。
色々と先人の方は試されたのですが実際には古刀の風格を持つ刀まで行き着けないということですね。
だから、有名どころの正宗とか古刀期の備前刀とかは実際にどう作られたのか不明なんですね。
また、人の感性にもよるので何とも言えませんが、古刀の風格は新刀以降の刀では中々拝む事が出来ないと感じます。
3年ほど前、日本の国宝や重文クラスの古刀が一斉に展示されるという機会があったのですが、その時古刀と一緒に新刀なども一緒に展示されていたのですが、横に並ぶとプレッシャーが全く違うんですね。
古刀の存在感は実際に使われていたという事実も手伝っていると思うのですが、そこで活きていた刀が今もなお美しい姿で拝めるのは僕たちの先人達の想いの深さと刀がどれだけ日本にとって重いものなのか、分かるきっかけになると思います。
先に述べた、僕の好きな童子切は平安時代の刀工と言われています。
その刀が今もなおその輝きを失わずに、ただその場に佇む様は圧巻です。
今回はここまでです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。