斬る心

居合道を通じて学んだ事を日々実践し時代の変化によって色褪せない技術を磨くI.T.系技術屋の記録

力を抜きつつ

今日は書いていきますね。

何を書いていこうかなとふと考えて、前回の話と少しかかわりのある話にしていきたいと思います。


これは僕の体験談なのですが、集中する事って一つの事に対して一心不乱にやる事だと思っていました。

どんな状態かっていうと、誰に言われてもぶれる事無く徹底的に追求する姿ですね。

確かに、これは表面からみると合っているように思うのですが、問題は目に見えない内面に向かいます。

というのは、僕は居合いの稽古を4年程続けているのですが、最初の内は力を入れて全力を出しているつもりになっていたのですね。

もうそれは、ガチガチに固めて刀をブンブン振っていました。

ただ、師範からは再三力を抜けと言われたり、逆に一点を見るのではなくぼんやりと周りを観るようにという事を注意され続けていたのですね。

普通、重いものを振り回す場合は力一杯振り回す方が良いようにかんじますよね?

僕はそう考えていました。

でも、今実際の真剣を持って斬っているのですが最初の頃とは全く違う事を意識し、力を抜きつつ芯を通す事を意識して振るようにしています。


これは、稽古の続けるうちに掴んでいったのですが、僕の感覚では力を入れすぎるとそこに意識が持っていかれて他が上手くいかなくなっていくんですね。

ただ、上手くいかないだけならいいのですが、刀の本来持っている力も活かす事が出来なくなり、結局目的には及ばない状態になります。

でも、力を抜いて体の隅々に意識を巡らしていくと刀は活き、その本来の「斬る」事が出来ます。

この感覚が僕個人の感想になりますが、他の物事にも活かせると感じています。

硬い考え方だと、その考えに縛られて本当は色々な用途で使えるモノも活かされる事無くしょんぼりしちゃいます。

これを、道具を他人に置き換えると、「どうにかしてこいつを変えてやろうという人」と、「別に好きにすればいんじゃないハハッ」っていう人ではどっちが良いのでしょうね。

僕は基本的に後者の人が好きです。

師範やその周りの人も結構気ままにやっていますからね。

少なくとも力を抜いてゆっくり息はいて星でも観ながらぼーっとしてみると、その日あった色々な問題は実は対した事じゃないんだなと感じます。

今回はここまでです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。