斬る心

居合道を通じて学んだ事を日々実践し時代の変化によって色褪せない技術を磨くI.T.系技術屋の記録

龍樹菩薩大寺の落慶法要に参加して

ナグプールで短い間でしたが過ごした感想は、ナグプールのエネルギーと自身の至らなさを感じた旅でもありました。


最初に感じたのは初日に佐々井秀嶺師に挨拶をする為に、ディクシャブーミへ伺いその後に観光していた時の事です。

少しその場所を観光している間、外国人だからなのか分かりませんがナグプールの方が自然然と集まり始めました。

その中で、偶然プログラムを勉強する大学生に出会い「日本語を勉強しているから教えてくれ」と訊かれ日本語の挨拶を教えていました。

その大学生達は既に日本語の発音や文字を理解しているようで、すぐに教えて事を吸収してしまいその光景を目の辺りにして「俺ヤバいな」と感じました事を覚えています。

その子達の勢いでそう感じたのかは分かりませんが、心の中で技師としてライバルみたいに感じさせる何かを彼らは持っていたようです。
少なくともこの真っ直ぐさに負けたくないなと感じました。


後、目的の落慶法要については混乱の中でしたが何とか演武が終わり、これで当初の目的は達成出来たと私は思っていました。
そのため、翌日は何処を散策しようかと完全に観光モードになっておりました。
ナグプールに滞在する最後の日という事もあり遊べるものだと考えていましたが、その考えが甘かったです。

何時到着するか分からないと言われていた刀が演武した翌日にナグプールの空港までは届いたという報せが師範に届いきました。
その時私は単独行動でナグプールを見て回っており、その報せを直接聴く事が出来ない状況でした。

しばらくして私は電話で「戻ってこい」という連絡を受けたので、ホテルに帰ると皆さん集まっており私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その後、師範から今回の旅について叱責を頂きすぐさま気持ちを切り替えて演武の準備を整え、その日の演武は無事成功しました。

ただ、この日も刀は佐々井師の手元には届かず空港で留まり、日本から持ち込んだ木刀での演武となりました。
前日の混乱した空気も無い静寂の中で行えた為、ただ流されて行った昨日より緊張した空気が場に広がりました。

私ははへまをしないように周りの人に併せるのに必死でしたが、佐々井師やアングリマーラーさん達もとても真剣に師範の演武を観ていました。
こういったものは言葉が分からなくても場の空気というのは伝わるのかなと感じました。