斬る心

居合道を通じて学んだ事を日々実践し時代の変化によって色褪せない技術を磨くI.T.系技術屋の記録

2年間稽古を続けて

本日の稽古にて師範からの指摘が大分減ってきました。
入会当初より剣技において下地が以前よりか整ってきているようです。


私自身、入会した当初から思い返せば随分と変化してきました。
主に内面について二年前とは比べるまでもありません。


始めたての頃は精神修行というのは何処か甘く見ていた部分もあり、また道場のあり方についても
他人事としてみていましたが、今では意識しなくても自身が手伝える事があれば自然と体が動く
ようになりました。

こういうのは場の空気というか呼吸読み取って働くものではありますが、何となく他の練習生や
門下生の方と連携しております。


剣を振る時も、最初の頃は斬る事にのみ意識を集中しておりましたが、今では2年前に比べれば
力を入れすぎず抜きすぎず、集中して適当な力で斬る事ができるようになってきていると感じます。


恐らく、どのような物でも良いとは思いますが己の内を感じそして鍛えるような事を
続ける事は実社会でも大切な事だと最近は強く感じます。


ITに関係した仕事をしていく上で、技術や知識が疎かに出来ないので、あまり内面については触れる事は
少なくなりがちかとは思いますが、知識などの技だけに傾倒しても良い結果が導けない事が多くあるなと
最近感じます。

少なくとも、自身の仕事上の型というか心の持ちようが仕事上で自身を助ける糧となっているのは確かです。


技術的なものや知識は最近ではインターネットを介して収集する事ができるものが多いため、
ある程度システムの在り方を押さえておけば後は自身の心の持ちようで意外に大抵の問題は解決に
導けたりします。


結局、発生した事象に対して流されていると自失となりこの時多くの場合「取り敢えず『頑張る』」という
状態になりがちかと思います。


この状態は自身の経験から感じるのですが、体力が続けばのりきれます。
ただ、状況としては目先の問題しか対処出来ず、根本を押さえる事が出来ていないため、
本当に問題が解決しているのかしていないのかの判断が着かないという状況が多い気がします。


事象に流されているので仕方ないのですが、この状態はあまり長く続くと結構危険な状態かと思います。
5年位前の私も取り敢えず『頑張る』という状態で仕事していた時期がありますが、
若さで乗り切れる時は良いのですが、年を取るとそうも言ってられません。

その為に、己を顧みる事や使っている道具の在り方について掴む術が必要になる事があります。


なお、稽古の話に戻りますが取り敢えず頑張ったところで斬れないものは斬れません。
師範からも同じような事を口酸っぱく聞かされています。


失敗とか成功や巧い拙いなんてものは、たまたま出来ただけの事というのは最近になって
少しずつ身についてきたかと思います。


あまり頑に張るという事はしないで、力を抜いて深く呼吸すると意外にすっきりした一閃が
放てたりします。


多分ですが、斬るのは剣がやります。
剣を振るのは体がやります。
己は静かに其れを観ます。


想像し難いとは思いますが、私が通っている道場で剣を振るとはこんな感じかなと思います。


次の自身の課題は日常では胆力を練った状態を維持し続ける事を、稽古時では気剣体の一致を
目指す事でしょうか。


まだまだ、先は長いです